名古屋高等裁判所 昭和53年(う)405号 判決 1980年11月10日
本籍
朝鮮全羅南道巌郡鶴山面特川里三九四番地
住居
岐阜県羽島市竹鼻町二六八番地
会社役員
水田健一こと
金福文
一九二九年一〇月一五日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、岐阜地方裁判所が昭和五三年一一月六日言渡した有罪判決に対し、原審弁護人より適法な控訴の申立があったので、当裁判所は検察官津村寿幸出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年及び罰金五〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人大野悦男、同水谷博昭共同作成名義の控訴趣意書及び意見陳述書と題する書面に、これに対する答弁は検察官原田芳作成名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。
控訴趣意書第一(原判決がその罪となるべき事実第一において認定している売上除外金、即ち逋脱金額に関する事実誤認の論旨)について、
所論は要するに、原判決が昭和四六年一月一日から同年一一月末までの間の売上除外金と認定しているもののなかには、売上除外金以外の被告人個人の貸付金及び利息金の返済金が混入されている。このことは(一)被告人個人経営の本件各店舗において一日の売上金のうち手形、小切手等の決済資金等当座に必要なものを当座預金に入れ、売上除外金は仮名普通預金に預入れていたところ、その預金事務は当座預金が優先し、なお余裕がある場合に初めて仮名預金に入金がなされていたというはっきりした入金の順序があるのは当然であって、当座預金の入金口数以上の仮名預金への入金分は売上除外金でなく被告人個人の貸付金還付金である。(このことは控訴趣意書(二)(イ)及び意見陳述書中岐阜モナコ、羽島モナコ各店の当座入金口数より仮名預金口数が多い事例を掲記したがこのことからも裏付けられる。)(二)原判決はその補足説明の項で原判示ニュー一宮センターの売上金取扱状況から売上除外金を認定し、これから他の三店舗の売上金取扱状況を推認しているが、ニュー一宮センターは被告人の義弟である梁金が共同経営者なので営業状態を正確に把握しておく必要があったが、他の三店舗はいずれも被告人の所有店舗であるから、その売上金操作は容易であって明らかに売上金と証明できない入金が混入しているのに、これをニュー一宮センターの売上金取扱と同視した推認は基本的に再点検されるべきである。従って原判示仮名普通預金を基本として右各店舗の売上除外金を認定しこれによって本件逋脱額を決定した原判決には事実誤認の違法がある、というのである。
所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討しても昭和四六年一月一日より同年一一月末までの逋脱金額を含み被告人が原判示罪となるべき事実第一の犯行に及んだことは所論にもかかわらず優にこれを認定することができる。所論はまず各店舗(羽島モナコ、岐阜モナコ)の当座預金入金口座より仮名預金入金口座が多いのは、被告人の貸付金及びその利息返還金が仮名預金口座に入金されているとして事例を挙げて、右合致しない入金分は逋脱額から控除されるべきである旨非難する。しかしながら右主張の理由のないことは原判決書の補足説明の項一、3、弁護人の主張に対する判断とする事項で詳細に原判決挙示の各証拠をあげて説示していることは、当審においても正当としてこれを是認することができる。なお当審第二回公判調書中証人佐々木治夫、同高木良三、同水田和夫、同第三回公判調書中証人檜山善造の各供述記載によれば、右証人らは被告人から金二〇〇万円ないし五〇〇万円を数回借受け、これを所論の期間中に元金及び利息金を返還している旨各供述しているが、その借受けた正確な日時、金額、返済した期日、金額等も特定されていないし、ましてこれを裏付ける約束手形、借用証等の証拠も全くないことは右供述自体から明らかであって、被告人個人の貸付金は昭和四六年七月まで殆ど回収しておると述べた被告人の名古屋国税局大蔵事務官及び検察官に対する各供述調書と対比すれば全く信用できない。また当審第三回公判調書中証人小椋照平、同第四回公判調書中証人堀次郎の各供述記載は当座預金口座と仮名預金口座の口数が所論のとおり符合していない事実、銀行集金は一括して行っていた事実を述べて一見論旨に添うような感もあるが、当審第五回公判調書中証人岩平清の供述記載によれば名古屋国税局査察管理の総括主査をしていた同人が被告人の本件脱税事件を調査した結果や、原判決挙示の各証拠中大蔵事務官作成の調査報告書、当審第五回公判期日で取調べた当座勘定元帳写七冊を参酌しつつ、被告人が預金した各銀行の当座預金口数より仮名預金口数が上廻ってもそれが原判示認定の逋脱額に影響しない所以を所論指摘の各事例について詳細克明に供述するところは十分信用するに足るものであって、結局前記小椋照平、堀次郎の各供述記載も原判示認定を動揺するに足らない。また原審及び当審公判廷における被告人の供述記載、供述も前記の貸付金及び利息金の受領を具体的に特定するに由ないばかりでなく原判決挙示の各証拠及び当審における信用しうる各証拠と対照すれば到底措信し難いところである。なお付言すれば被告人は大蔵事務官の質問てん末書及び検察官に対する各供述調書において、本件犯行を全面的に認めており、本件逋脱金額に添う修正申告をしていること、原審第一八回公判調書中証人岩平清の供述記載によれば、その捜査段階で被告人の主張する個人の貸付金、利息金の仮名預金の入金分はすべて本件逋脱税額から除外されていることが明らかである。その他記録を調査しても所論(一)に該当する証拠は見出し難く、その主張に左袒し難いこと勿論である。更に所論は原判決が説示するニュー一宮センターの経理状態は他の三店舗に推認することはできないと主張するが、原審第九回、第一〇回公判調書中証人平塚重金、同第一六回、第一七回公判調書中証人林昭文の各供述記載及び平塚重金の検察官に対する供述調書を綜合すれば、被告人経営のパチンコ店四軒の売上げはいずれも羽島店事務所に報告されここで統括され被告人の指示により当座預金、仮名預金に分割され、同事務所で経理面を担当していた平塚重金、林昭文の両名により現実に各店舗の売上げ金が統一処理されていたことが認められ、前掲の各証拠の内容はいずれも互いに符合していてこれを信用することができ、当審第五回公判調書中証人岩平清の供述記載もこれを裏付けており、かかる証拠からすれば原判決書の補足説明の項一、3、弁護人の主張に対する判断の項でニュー一宮センターの経理状況を他の三店舗の経理状況に推定する旨説示することは当審においてもこれを正当として認容することができ、その他記録を調査しても右認定を覆すに足る資料は見出すことができない。従って原判決に所論の事実誤認は認められず、論旨は理由がない。
控訴趣意書第二、第三(被告人の犯意についての事実誤認及び所得税法一二条の解釈適用を誤った法令違反とこれに伴う逋脱金額の事実誤認、並びに被告人の所為が可罰的違法性に欠けるとの論旨)について、
所論は要するに(一)被告人が本件パチンコ店舗四軒と水田産業株式会社のボーリング場等の各経営を別個にしたのは、被告人の経験の未熟と日常業務の多忙さの故であって単なる事務処理上の誤りに過ぎず、被告人はボーリング場開店披露において、パチンコ店四軒を法人の組織の一部であると紹介し、またボーリング場の経営悪化に伴い、本件各パチンコ店の営業利益を合計一億九、八九二万円余も同会社に注ぎ込んでいる。このことは被告人の意識中には本件パチンコ店と水田産業株式会社の両営業が統一して認識され、その運営がなされてきたことを裏付けるもので、被告人に本件逋脱についての認識はない。(二)所得税法一二条の法意は、実質においてその所得利益が誰に帰属するかを見極め、その最終利益取得者から税を徴収する旨を定めたものであるところ、被告人の個人営業のパチンコ店各軒と、その代表取締役となっている水田産業株式会社のボーリング場等の法人経営を外形的にのみ捕えて二本立の納税義務があると判断している原判決は被告人が共に経営している企業に関し所得税法一二条の法意を誤解し、その結果被告人に本件所得税逋脱額を多額に認定している誤りが存する。(三)被告人の所得税逋脱額は被告人経営のパチンコ店や水田産業株式会社の全ての営業部門の利益と損失を通算すれば少額に過ぎないものであるから可罰的違法性が欠ける。以上の各点をいずれも容認せず、原判示逋脱税額を認定し、本件所得税法違反罪の成立を認めた原判決には事実を誤認し、法令の解釈適用を誤った違法がある、というのである。
所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討するに、(一)まず所論は被告人はパチンコ店と水田産業株式会社は経営上一体として認識していたもので脱税の犯意はない旨主張するが、原審第二〇回公判調書中証人清水薫、同第七回公判調書中証人洪仁卓の各供述記載によれば、被告人は昭和四六年八月岐阜県大垣市にボーリング場遊戯場喫茶店などを営業目的とする水田産業株式会社を設立したが、その際右設立に関与していた税理士清水薫から、本件パチンコ店四軒も同会社に統合した方が税法上有利であると勧告されたのに被告人はこれに応じないまま本件パチンコ店四軒を被告人の個人経営として本件税法年度を経過してその旨確定申告をしたこと、在日朝鮮人京都府商工会に商工部長として勤務する洪仁卓は被告人から依頼されて同人の確定申告の手続きをしていたが、本件犯行時の昭和四六年度、昭和四七年度の確定申告は被告人から所要事項の通知をうけて被告人個人経営のパチンコ店の関係で申告したものであることを認定することができ、これらの証拠と被告人の検察官に対する各供述調書によれば被告人に脱税の犯意があったことは優にこれを認定することができ、原審及び当審公判廷における被告人の各供述記載中右認定に抵触する部分は原判決挙示の各証拠と対比すれば到底信用することができない。(二)所論はまた原判決の所得税法一二条の解釈適用とその結果の逋脱額について非難攻撃するが、同法条は所得の帰属また種類等につき名義または形式とその実質が異なる場合は、実質に従って所得税を課するといういわゆる実質所得者課税の原則を明らかにした宣言的規定であって、本件と直接関連はなく、同法五条、七条で定める税体系の基本である納税義務者が個人所得と法人の利得とを明細に区別して規定していることから明らかなように、個人所得と法人所得を一体としたら税法体系が全部崩壊してしまう結果になることは原審第一八回公判調書中証人岩平清の供述記載をまつまでもなく当然のことであって、本件被告人個人経営のパチンコ店と水田産業株式会社の税額を別個に処理した原判決に所論の法令の解釈適用の違法はなく、また脱税額の点にも誤認は認められない。(三)更に所論は被告人の所為が可罰的違法性に欠ける旨主張するが、その論拠は脱税額が被告人個人経営店と水田産業株式会社の利息、損失を合計計算した額を基準とするものでその前提自体失当であることは前述のとおりであるから、これも採用の限りでない。結局原判決書がその補足説明の項二において説示する事項は当審においても正当としてこれを是認することができる。従って原判決に所論掲記の事実誤認及び法令の解釈適用の誤りは毫も存しない。論旨はいずれも理由がない。
控訴趣意書第四(量刑不当の論旨)について
所論は要するに原判決の量刑が被告人に対し懲役刑及び高額の罰金刑を併科した点において重過ぎて不当である、というのである。
所論にかんがみ記録を調査して検討すると、証拠に現われた諸般の情状、特に被告人はパチンコ店数軒を経営し多額の利益をあげていながら、利益金を正常な経理事務から除外し、仮名の数名の預金口座を設定し、利益金を各仮名預金口座に順次預けいれるなどの巧妙な手段を通じて、二年間に亘り昭和四六年度、昭和四七年度当時合計金六、三〇〇万余円の多額の税金の納入を免がれていたもので、善良な国民の納税意識に及ぼした影響も少くないことを考慮すると、被告人が前記水田産業株式会社と被告人個人営業を峻別せず同会社が岐阜相互銀行に約二億八、〇〇〇万円の債務を抱え、本件脱税金も同会社の資金に流用していたこと、水田産業株式会社内のボーリング設備一切を他に売却したがいまだ多額の負債を負担していることなど原判決言渡し当時に判明した被告人に有利な諸事情を斟酌しても原判決の量刑はその言渡し当時においては相当であったと認められる。しかし当審における事実取調べの結果によると、水田産業株式会社の業績は益々悪化し原判決言渡し後被告人は一宮モナコの土地建物を一億六、五〇〇万円で売却処分して岐阜相互銀行に返済し、なお同銀行に一億三、〇〇〇万円の債務を有することから岐阜モナコ、羽島モナコの各土地建物に任意競売を岐阜地方裁判所に申し立られて同裁判所においてすでに競売開始決定がなされ、右競売が実行されてもなお被告人が負担する債務金額を返済できない状態にあり、結果的には、被告人が本件によって得た利得も被告人が法人と個人とを峻別しなかったため遂に水泡に帰するに至ったことが認められ、かかる現在の被告人の経済状況をさきに被告人に有利と認めた諸事情に加味考慮すれば、原判決の量刑は懲役刑(刑執行猶予付)はやむを得ないとしてもその罰金額の点においてやや重すぎるに至ったものと認められ、これが是正のため原判決は破棄を免れない。論旨は右の限度で理由がある。
よって本件控訴は理由があるので刑訴法三九七条二項、三九三条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い当裁判所で直ちに判決する。
原判決の認定した事実に、その適用したと同一の法律を適用し、刑種選択、併合罪加重をした刑期及び罰金額の範囲内で被告人を懲役一年及び罰金五〇〇万円に処し、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは金一万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、同法二五条一項によりこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文に従いこれを全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 杉田寛 裁判官 鈴木雄八郎 裁判官 早瀬正剛)
○控訴趣意書
被告人 金福文
右の者に対する所得税法違反被告事件の控訴の趣意は左記の通りである。
昭和五四年一月一七日
弁護人 大野悦男
同 水谷博昭
名古屋高等裁判所
御中
第一、原判決の判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認
一、弁護人は原審で、昭和四六年一月一日から同年一一月末日までの期間の被告人の売上除外金認定方法に関する検察官の主張が方法論に於いて重大な誤りを犯しており、そのため売上除外金でない多額の金銭の仮名預金への入金部分が売上除外金と誤認定されていることを詳細に論述した。
これに対して原判決は、同期間中のニュー一宮センターの売上金に付いて、平塚重金作成の同店売上金額を記載した卓上日誌の各営業日の売上金額と同店売上金の除外金を入金した仮名預金の入金額に売上公表金を合算した金額が完全に一致しているから、この事実からして他の店舗に関する検察官の主張も正当であると推認できるとして弁護人の主張をしりぞけている。
二、しかしながら、次に指摘する事実の存在は原判決の右推認をくつがえすに充分なものであると考える。即ち、売上公表金の構成部分である日々の当座預金入金額は大まかな言い方をすれば被告人のパチンコ店の運営に必要な経費的な役割を果たしていたのであるから、入金事務処理上は当座預金への入金が優先し、当座預金に入金した後なお余裕がある場合に始めて仮名預金への入金が為されていたというはっきりした入金の順序が確定していた。
従って、当座預金への入金があって仮名預金への入金がない日があっても、その逆のケースはあり得ない。
しかもある特定の日の売上金は金融機関の集金担当者が被告人の羽島市の営業所へ出張して来た上で同時に入金区分が為され当座預金入金と仮名預金入金の処理が為されていたことは証拠上明白であるから、仮に特定の日の両口座の入金口数を対比して見て、仮名預金への入金口数が当座預金への入金口数を上まわっている事例があるとすれば、少なくともその上まわっている数だけ売上除外金以外の性質の金銭が入金されたということにならざるを得ない。
検察官はニュー一宮センターの売上除外金についてだけその仮名預金口座の口座名を特定し、その余の店の売上除外金についてはどの仮名預金口座がどの店の売上除外金と対℃するかを明らかにしていないが、当座預金口座は店別区分が明確であるので当座預金口座の入金状況(入金日付と入金の口数)を基準にして、これに入金状況が最も近似している仮名預金口座を選定する方法により当座預金と仮名預金の対応関係を確定してみると次の様になる。(なお、穂積店については業績が悪く、従って売上除外金を作る余裕がなかった)
<省略>
<省略>
右の対応関係を前提にして、同じ日の当座預金入金口数と仮名預金口数を対比すると次のような矛盾が見出される。
(イ) 岐阜モナコ売上について
岐阜モナコ当座預金口座(岐阜商工信用組合口座番号一八四)
伊藤和夫名義普通預金(岐阜商工信用組合)
<省略>
(ロ) 羽島モナコ売上について
羽島モナコ当座預金口座(岐阜相互銀行羽島支店)
口座番号四八四
江川和男名義普通預金(岐阜相互銀行羽島支店)
<省略>
三、右に指摘した事実は、前述のとおり売上除外金以外の入金が仮名預金口座に入金している事を明白に物語っているのであるが、これは原審に於いて弁護人が指摘したとおり被告人は自己の手持余裕金を以前から外部に個人貸付をしており、その貸付の利息や元本の一部が不定期に借主から被告人に返済され、その返済された金を被告人が適宜仮名預金に入金していた事実があるために外形上も右の如き売上除外金の入金とは到底見做し得ないような入金状況を呈するに至っているのである。
それではニュー一宮センターについては右の様な矛盾が発見されないのに、その余の店舗の売上に関する仮名預金にだけかかる現象が表われてきている事情を考察して見るに、
(イ) 羽島モナコ、岐阜モナコ、穂積モナコはいずれも被告人の所有店舗であり、従ってその業績の良、不良に拘わらず、被告人としては経営を継続していかなければならなかったのに、一方ニュー一宮センターだけは若松昭二郎が経営する株式会社ニュー一宮センターから昭和四五年七月に三年間の期間の定めで賃借しており、同店舗の業績いかんでは右契約期限に契約を更新するか打切るかの判断をする必要があったので、その業績の容態を正確に把握するために被告人は売上金以外の金銭を意識的に混入しなかったこと
(ロ) ニュー一宮センターは被告人と義弟の梁川秀雄こと梁金奉が共同賃借人になっており、同店経営資金は全額被告人が出資していたものの、被告人と梁金奉との間では同店の経営が順調に推移すれば利益の一部を梁に分与する旨の約束が為されていたので、被告人としては同店の営業実態を他店舗以上に正確に把握しておく必要があったこと
等の事情があったために、被告人は前記の売上金以外の性質の金銭をニュー一宮センター関係口座以外の仮名預金口座に入金して、ニュー一宮センター関係の仮名預金口座には決して混入させなかったのである。
四、右に指摘したとおり、岐阜モナコ、羽島モナコの売上金が入金されている仮名預金口座の中に、明らかに売上金とは認識し得ない入金が混入して来ている事実が明白である以上、原判決のニュー一宮センター関係の事例を根拠にしたその余の店舗の売上金推認の論理は根本的に再点検されざるを得ないのでありその場合、その余の店舗関係の仮名預金の個々の入金が強固な証拠によって正面から厳格に事実認定されたものではなく、推認されたものに過ぎないのであるから、単に弁護人が右に指摘した矛盾部分を除外してその余の部分を売上除外金と認定することはできないのであって、原審で弁護人が指摘した昭和四六年一月一日から同年一一月末日までの間の売上除外金でない可能性のある入金部分(複数口入金部分)について検察官の主張が正当であるか、弁護人の主張が正当であるかを別の証拠と別の論理によって検証し直す必要があることになる。
五、弁護人は原審で仮名普通預金に多額の売上除外金以外の金銭が混入して来ている事実の間接証拠として当座預金口座の中にされ売上金以外の金銭が混入して来ており、検察官も予めその事実を認識していて、当座預金入金から右の部分を除外した上で自己の主張を構成していると主張したのに対して原判決は検察官が予め売上金から除外した当座預金入金部分はいずれも入金額の摘要欄に明白にその入金の趣旨を表示した記載があったからであり、この事と仮名預金が設けられた趣旨を併せ考えれば弁護人の主張は理由がない旨判示している。
しかしながら、弁護人の原審に於ける主張の趣旨は前記のとおり当座預金口座にさえ売上金以外の性質の金銭が混入して来ているのであるから、仮名普通預金に同種の金銭が混入して来ている可能性が充分考えられるというものであり、これに対する判断として検察官が除外した部分は、異なる入金の趣旨が明瞭だったからだという部分は答えにならないし、又、仮名預金の設けられた趣旨が売上除外金を管理するためであったという部分は一応の答えにはなり得ても充分なものではない。
けだし、売上除外金管理のために仮名預金口座が設けられたという設定を仮に認めるとしても、そこに他の性質の金銭を被告人が入金することはあり得ず、考えられないという拡張解釈をする充分な根拠はないし、実際は被告人はその種の入金をなした旨の供述をしており、又一部分ではあるが検察官に於いても売上除外金以外の入金と認定してその主張から除外している仮名預金入金部分もあるからである。
例えば次のとおりである。
岐阜相互銀行江川和男名義普通預金
昭和四六年四月二〇日入金 金六万円
右同日入金 金八〇万円
同月二一日入金 金八〇万八一六八円
七月一〇日入金 金三五〇万円
かくて弁護人の右の主張部分についても再度その当否が検討されなければならないことになる。
六、以上、要するに原判決は昭和四六年一月一日から同年一一月末日までの売上金額に関する弁護人の主張を慎重に検討することなく、しりぞけて検察官の主張を鵜呑みにして事実を誤認しているものと言わざるを得ない。
第二、原判決の判決に影響を及ぼすこと明かな事実誤認及び法令の適用の誤り。
一、弁護人は原審で実質課税の原則により、被告人のパチンコ四店舗の営業と水田産業株式会社のボーリング場の営業結果を通算して単一に評価してその所得額を算定すべき旨主張し、原判決は弁護人の右主張を採用しなかった。原判決が弁護人の主張を採用しえないとする理由の要旨は、要するに被告人自らが個人営業と法人営業の二本立にする方法を選択し、それに対応する経理上の処理をして税の申告も所得税の申告と法人税の申告の二本立で為して来ているのであるから、これを単一の営業と評価する訳にいかないと言うものである。
しかしながら、原判決のこの部分に関する事実認定は、被告人の行為意味を誤解し、その結果所得税法一二条の適用を誤ったものであると評価せざるを得ない。
二、被告人は確かに本件パチンコ四店舗の経理と、ボーリング場及びその余のパチンコ店喫茶店の経理を別立にしていた事は事実であるが、これは明白な意図的行為によって為されたものでは決してなくて、被告人の経験の未熟さと日常業務の多忙さの故と、被告人と経理士の連絡不足がもたらした事務処理上の単なるミスに過ぎない。
弁護人が原審で詳述した通り、被告人は一方で右の二本立経理を取りながら、他方では外部に対してボーリング場の開店披露パーティーで従前のパチンコ四店舗を法人の経営であると紹介し、又年賀状や暑中見舞は水田産業株式会社名で出し、その書状の中には法人の営業活動の内容として、従前のパチンコ四店舗を書き込んでいる。又、ボーリング場の経営悪化に伴い、被告人は従前からの蓄積利益や本件パチンコ四店舗の日々の営業利益を昭和五二年八月頃までの間に合計一億九八九二万〇七〇〇円も注ぎ込む結果になっている。
この様な諸事実は経理二本立の外形が存在するにも拘わらず、被告人の意識の中では両営業が統一して認識され、そのように運営されていた事を物語っている。
被告人は元来経理事務を系統的に勉強した経験がある訳ではないし、日々の営業活動に忙殺されているので、経理を一本化すべきか否かに付いての方針を熟慮する時間的精神的余裕がなかったに過ぎない。
宇治税務署長に対する個人所得税の申告にしても、従前からの惰性で京都朝鮮人商工会に対する付合い義理から、その意味の重大さを十分吟味することもなしにこれを行っていたものに過ぎない。
三、所得税法一二条の法意は法律行為の形式や、利益の帰属の単純な外形に拘泥することなく、実質に於てその所得利益が誰に帰属するのかを見極め、その最終帰属者、実質帰属者から税を徴収すべき旨を定めたものであり、換言すれば担税力がどこにあるかを見極めて徴税事務を運用しなければならない事を定めた規定であると解釈される。
しかるに被告人の場合は経理処理の二本立という形式にとらわれずに事実を卒直に見てやれば、パチンコ四店舗で得られた利益の大部分を日々発生しているボーリング場経営の赤字補填のために費消してしまっているのであり、従って国からパチンコ四店舗の利益の所得税を支払えと言われても支払うべき利益が手元に留っていないのである。原判決は正に被告人に対して不可能を強いているものと言わなければならない。
ボーリング場が赤字経営で倒産する事は事実の失敗だからやむを得ない。パチンコ店の利益だけは手元に留保して、税の支払をしなければならないという様な不合理な徴税事務が行なわれないようにするために正に所得税法一二条が存在しているのに、原判決は前記の通り被告人の行為の外形のみを捕えてその意味を解釈し、二本立の納税義務があると認定しているのであるから、この認定は明かに所得税法一二条の法意を誤解して、その適用を不当に排除し、その結果被告人の所得税逋脱額を不当に多額に認定する誤りを犯していると言わざるを得ない。
なを被告人の所得額は全ての営業部門の利益と損失を通算して、
昭和四六年度が金一八三五万八九一八円
昭和四七年度が金一六一五万七四六〇円
であり、これに対する所得税額は、
昭和四六年度が金 七三七万七五〇〇円
昭和四七年度が金 五九四万四六〇〇円
であり、従って被告人の所得税逋脱額は、
昭和四六年度が金 七〇一万八五〇〇円
昭和四七年度が金 五四一万三三〇〇円
となる(計算の根拠は末尾添付の原審の弁護人の弁論要旨記載の通りである)。
第三、原判決の判決に影響を及ぼすこと明かな事実誤認及び法令の適用の誤り-その二-
弁護人は原審で前記第二で述べた主張を前提にして、法人名義の営業結果と個人名義の営業結果を通算すると、前記の通りの所得税逋脱額となりその程度の逋脱額の場合であれば、あえて刑事罰を科する必要のないものであり、被告人の行為は可罰的違法性に欠けると主張したのに対して、原判決は所得税法一二条の解釈を誤り、両営業を分離して納税義務を認める解釈を採用する結果、弁護人の右主張を排除しているのであるが、この部分は前述の通り事実を誤認し、法令の適用を誤った結果、かかる結論に到達しているものであって、やはり違法な判断と評価せざるを得ない。
第四、量刑不当
一、原審で弁護人は構成要件事実に関する主張並びに可罰的違法性不存在に関する主張の全てが認められないとしても、被告人に対する量刑は極めて形式的、名目的な罰金刑に留められるべきことを主張した。その理由は弁護人の原審弁論要旨記載の通りであるから末尾にこれを添付して引用するに留めるが、弁護人の右主張にも拘わらず、原審は被告人に対して執行を猶予したとは言え、懲役一年の刑と罰金一〇〇〇万円の罰金刑を併科する判決を言渡した。
しかしながら右判決は懲役刑を科した点も不当であり、一〇〇〇万円もの多額の罰金刑を併科した点は更に不当性を加重していると考える。
その不当である理由は右に引用した原審弁論要旨記載理由の他は次の通りである。
二、被告人が水田産業株式会社の法人税の申告としてであるにしろ、被告人個人の所得税の申告という形式を取るにしろ、前記第二で述べた金額の利益を根拠として税額計算をして納税をしていたとすれば、被告人が実質的に享受した利益はその程度であったのであるから、妥当な申告であったと評価し得るであろう。そうすると被告人が申告を怠り、不当に利益を手元に留保し、その結果国家に損失を与えた実額は二年間で合計約一二四二万円である。
この程度の逋脱額の事案では通常は国税局は刑事告発手続を取らないのであり、仮に万一告発が為されたとしても検察官の事件処理基準からすれば、起訴猶予処分になるのが通例と思われる。
そうだとすると原判決の懲役刑の宣告は不当に過重な刑の宣告だと評価出来る。又、所得税法違反事件の罰金刑の量刑基準は徐々に低額下する傾向にあり(罰金刑の併科は二重処罰の禁止の原則に違反しており、憲法違反であるという議論が多く為されていた時代もある)、大体逋脱額の三分の一程度に留められるのが裁判実務の運用実態であると考える。
そうだとすれば被告人の事案に於いて仮に起訴がやむを得ない何らかの事情があり、しかも罰金刑を併科するとすれば高々四〇〇万円程度に留められるべきだと思われるのであり、従って原判決の一〇〇〇万円の罰金の併科はやはり不当に過重であると評価せざるを得ないのである。
三、法人経営の経験も未熟であり、経理事務処理に関する知識にも乏しい被告人にその判断の誤りの結果を一方的に押付けて、原判決通りの刑を科するのは明かに酷に失するのであり、原判決は少くとも量刑不当の点に於て破棄を免れ得ないと確信するものである。
第二、原判決の判決に影響を及ぼすこと明かな事実誤認及び法令の適用の誤り。
一、弁護人は原審で実質課税の原則により、被告人のパチンコ四店舗の営業と水田産業株式会社のボーリング場の営業結果を通算して単一に評価してその所得額を算定すべき旨主張し、原判決は弁護人の右主張を採用しなかった。原判決が弁護人の主張を採用しえないとする理由の要旨は、要するに被告人自らが個人営業と法人営業の二本立にする方法を選択し、それに対応する経理上の処理をして税の申告も所得税の申告の二本立で為して来ているのであるから、これを単一の営業と評価する訳にいかないと言うものである。しかしながら、原判決のこの部分に関する事実認定は、被告人の行為意味を誤解し、その結果所得税法一二条の適用を誤ったものであると評価せざるを得ない。
二、被告人は確かに本件パチンコ四店舗の経理と、ボーリング場及びその余のパチンコ店喫茶店の経理を別立にしていた事は事実であるが、これは明白な意図的行為によって為されたものでは決してなくて、被告人の経験の未熟さと日常業務の多忙さの故と、被告人と経理士の連絡不足がもたらした事務処理上の単なるミスに過ぎない。
弁護人が原審で詳述した通り、被告人は一方で右の二本立経理を取りながら、他方では外部に対してボーリング場の開店披露パーティーで従前のパチンコ四店舗を法人の経営であると紹介し、又年賀状や暑中見舞は水田産業株式会社名で出し、その書状の中には法人の営業活動の内容として、従前のパチンコ四店舗を書き込んでいる。又、ボーリング場の経営変化に伴い、被告人は従前からの蓄積利益や本件パチンコ四店舗の日々の営業利益を昭和五二年八月頃までの間に合計一億九八九二万〇七〇〇円も注ぎ込む結果になっている。
この様な諸事実は経理二本立の外形が存在するにも拘わらず、被告人の意識の中では両営業が統一して認識され、そのように運営されていた事を物語っている。
被告人は元来経理事務を系統的に勉強した経験がある訳ではないし、日々の営業活動に忙殺されているので、経理を一本化すべきか否かに付いての方針を熟慮する時間的精神的余裕がなかったに過ぎない。
宇治税務署長に対する個人所得税の申告にしても、従前からの惰性で京都朝鮮人商工会に対する付合い義理から、その意味の重大さを十分吟味することもなしにこれを行っていたものに過ぎない。
三、所得税法一二条の法意は法律行為の形式や、利益の帰属の単純な外形に拘泥することなく、実質に於てその所得利益が誰に帰属するのかを見極め、その最終帰属者、実質帰属者から税を徴収すべき旨を定めたものであり、換言すれば担税力がどこにあるかを見極めて徴税事務を運用しなければならない事を定めた規定であると解釈される。
しかるに被告人の場合は経理処理の二本立という形式にとらわれずに事実を卒直に見てやれば、パチンコ四店舗で得られた利益の大部分を日々発生しているボーリング場経営の赤字補填のために費消してしまっているのであり、従って国からパチンコ四店舗の利益の所得税を支払えと言われても支払うべき利益が手元に留っていないのである。原判決は正に被告人に対して不可能を強いているものと言わなければならない。
ボーリング場が赤字経営で倒産する事は事業の失敗だからやむを得ない。パチンコ店の利益だけは手元に留保して、税の支払をしなければならないという様な不合理な徴税事務が行なわれないようにするために正に所得税法一二条が存在しているのに、原判決は前記の通り被告人の行為の外形のみを捕えてその意味を解釈し、二本立の納税義務があると認定しているのであるから、この認定は明かに所得税法一二条の法意を誤解して、その適用を不当に排除し、その結果被告人の所得税逋脱額を不当に多額に認定する誤りを犯していると言わざるを得ない。
なを被告人の所得額は全ての営業部門の利益と損失を通算して、
昭和四六年度が金一八三五万八九一八円
昭和四七年度が金一六一五万七四六〇円
であり、これに対する所得税額は、
昭和四六年度が金 七三七万七五〇〇円
昭和四七年度が金 五九四万四六〇〇円
であり、従って被告人の所得税逋脱額は、
昭和四六年度が金 七〇一万八五〇〇円
昭和四七年度が金 五四一万三三〇〇円
となる(計算の根拠は末尾添付の原審の弁護人の弁論要旨記載の通りである)。
第三、原判決の判決に影響を及ぼすこと明かな事実誤認及び法令の適用の誤り-その二-
弁護人は原審で前記第二で述べた主張を前提にして、法人名義の営業結果と個人名義の営業結果を通算すると、前記の通りの所得税逋脱額となりその程度の逋脱額の場合であれば、あえて刑事罰を科する必要のないものであり、被告人の行為は可罰罰違法性に欠けると主張したのに対して、原判決は所得税法一二条の解釈を誤り、両営業を分離して納税義務を認める解釈を採用する結果、弁護人の右主張を排除しているのであるが、この部分は前述の通り事実を誤認し、法令の適用を誤った結果、かかる結論に到達しているものであって、やはり違法な判断と評価せざるを得ない。
第四、量刑不当
一、原審で弁護人は構成要件事実に関する主張並びに可罰的違法性不存在に関する主張の全てが認められないとしても、被告人に対する量刑は極めて形式的、名目的な罰金刑に留められるべきことを主張した。その理由は弁護人の原審弁論要旨記載の通りであるから末尾にこれを添付して引用するに留めるが、弁護人の右主張にも拘わらず、原審は被告人に対して執行を猶予したとは言え、懲役一年の刑と罰金一〇〇〇万円の罰金刑を併科する判決を言渡した。
しかしながら右判決は懲役刑を科した点も不当であり、一〇〇〇万円もの多額の罰金刑を併科した点は更に不当性を加重していると考える。
その不当である理由は右に引用した原審弁論要旨記載理由の他は次の通りである。
二、被告人が水田産業株式会社の法人税の申告としてであるにしろ、被告人個人の所得税の申告という形式を取るにしろ、前記第二で述べた金額の利益を根拠として税額計算をして納税をしていたとすれば、被告人が実質的に享受した利益はその程度であったのであるから、妥当な申告であったと評価し得るであろう。そうすると被告人が申告を怠り、不当に利益を手元に留保し、その結果国家に損失を与えた実額は二年間で合計約一二四二万円である。
この程度の逋脱額の事案では通常は国税局は刑事告発手続を取らないのであり、仮に万一告発が為されたとしても検察官の事件処理基準からすれば、起訴猶予処分になるのが通例と思われる。
そうだとすると原判決の懲役刑の宣告は不当に過重な刑の宣告だと評価出来る。又、所得税法違反事件の罰金刑の量刑基準は徐々に低額下する傾向にあり(罰金刑の併科は二重処罰の禁止の原則に違反しており、憲法違反であるという議論が多く為されていた時代もある)、大体逋脱額の三分の一程度に留められるのが裁判実務の運用実態であると考える。
そうだとすれば被告人の事案に於いて仮に起訴がやむを得ない何らかの事情があり、しかも罰金刑を併科するとすれば高々四〇〇万円程度に留められるべきだと思われるのであり、従って原判決の一〇〇〇万円の罰金の併科はやはり不当に過重であると評価せざるを得ないのである。
三、法人経営の経験も未熟であり、経理事務処理に関する知識にも乏しい被告人にその判断の誤りの結果を一方的に押付けて、原判決通りの刑を科するのは明かに酷に失するのであり、原判決は少くとも量刑不当の点に於て破棄を免れ得ないと確信するものである。